七月某日
突然、税理士の先生からお祝いを頂きました。
何のお祝いかと思って訊ねたら、今から30年前の7月に僕が杉並区の西荻窪に9坪の小さな居酒屋『勝手口てやん亭”』を立ち上げたそうで、、、
自分でも今年が創業30年目だとは知っていたけど「今月だったのか…」ぐらいの記憶でした、、、法人登記したのがその2年の後の11月だから、、、
記録的には夏頃だったかなぁ…
ぐらいの印象だったけどね(笑)
そっか七月でしたか…
僕は27才の時に原宿表参道のアパレル会社を突然辞めて居酒屋修行の道に飛び込みました。
お店は『くいものや楽』。
そう『楽コーポレーション』です。
5年間で気合いと根性で1000万を貯めて1人で独立しました。
カネも人も居なかったので「スタジオムーン」の金子さんにお願いして出来る事は自分たちで店を造りました。
国とか金融機関から借り入れが出来なかったのです。
理由は担保が無いのと連帯保証人もいなかったらか、、、
借金をするという事の難しさと厳しさを初めて知り、貯めたお金でやるしか無いと腹をくくりました。
看板も僕が書き
椅子も僕が組み立て
塗装も僕が塗り
壁紙も貼りました
そうして何とか店が出来て「たった1人」で開店されたのが今から30年前の7月の暑い夏の夜17時でした。
当時から僕は全く「無欲」でした…
店を造り開店するだけで僕は必死だったし
売上なんて無かったし
店舗展開とか
売上目標とかも、何も考えずに毎日一人で自由気ままに居酒屋商売を楽しんでました。
珍しく予約が入ると母ちゃんや友人に店を手伝ってもらいました。
いつしか社員が増えて、1店舗では雇用が厳しくなって二店舗目を考えました。
そして散々探した挙げ句
アパレル時代か思い入れのある表参道に二店舗目を出店しました。
店は瞬く間に繁盛しました。
その後、西麻布、渋谷、六本木、吉祥寺へと次々と出店して行くんだけど
いつも掲げていた事は「地域一番店になる!」と言う目標でした。
そんな事を社員達と一緒に目標を掲げてひたすら毎日お客様たちと向き合って来た30年…
いつしか僕は現場から離れて、本意では全くない事務仕事に追われる日々となりましたが
僕の心や気持ちは30年経った今でも「お店🟰現場」にあります。
そして何より僕は自分自身「飲み屋のオヤジ」であると言う気持ちは30年経った今でも一ミリも変わっていないつもりです。
なので僕は今でも「社長」と言われるのが大嫌いです。
社長と呼ばれる事に凄く違和感があります(笑)
だから社員やアルバイトからも社長とは呼ばせず、あだ名の「ガンさん」と呼ばせてます。
この30年間
色々な事があり過ぎて文章にしたらとんでも無い事になるけれど
税理士の先生から「何の商売でも30年間続けて来れたのは大変御立派な事ですよ」と、お褒めの言葉を頂き、感無量でした(涙)
なので
この場を借りて言わせてください。
今迄30年間『BASICS』を支えてくれた皆々様に心からの御礼と感謝の気持ちを込めて
声高らかに「ありがとうございました」と言わせてください!!!!!
因みに社名である『BASICS』とは「基本の複数系」を意味します。
我々居酒屋商売には幾つもの大切な「基本」が詰まった商売である。
それを絶対に忘れてはいけない、、、そんな想いを込めて付けた社名でございます。。。
最後に一言、、、
私は今日まで生きて来ました
私は今日まで生きてみました
そして今私は想っています
明日からもこうして生きていくだろうと…
back to BASICS
商売の基本を忘れずに我々BASICSは40年目への歩みに舵を進めたいと思います!
ありがとうございました!
石の上にも三十年!!!
株式会社ベイシックス
代表取締役社長 岩澤博
開店当日の記念写真
ホームセンターで買って来た椅子を組み立てて色を塗ってます。
壁にはカネが無かったから「よしづ張り」にしましたが友達からは「海の家」とからかわれて少しムカつきましたね、、、(笑)
母ちゃんが手伝ってくれる時は必ず手造りの古漬けを持って来てくれて
それをお客様にサービスしてたら
いつの間にかそれが名物になっていて
お客様から母ちゃんに御礼の手紙を頂いた事もありました。
懐かしい想い出ですね。