『対馬丸』の話し
そして沖縄サントリーの赤嶺さんの話し。
笑顔の絶えない赤嶺さん
何だか自分の娘みたいに可愛い子。
そんな赤嶺さんとサシ呑み
仕事の話しで盛り上がり中突然赤嶺さんが俺に質問して来た
「ガンさん対馬丸ってご存知ですか?」
その質問に俺は答えた
「知ってるに決まってるだろ!俺は何度も対馬丸記念館に行って手を合わせいるよ」
すると赤嶺さんの顔から突然笑顔が消えて、赤嶺さんの目がみるみる涙で溢れた、、、
理由を聞いて俺は愕然とした
それは、赤嶺さんの祖母が対馬丸に乗るはずが奇遇にも乗り遅れて
そのおかげで今の自分が居る…って話し。
赤嶺さんは泣きながら話をしてくれた。
対馬丸とは
太平洋戦争中の昭和19年(1944)8月、那覇港を出航した学童疎開船「対馬丸」が米軍潜水艦の魚雷攻撃を受け撃沈。1000人余りの子どもたちを含む、疎開者約1500人の命が犠牲となった。
赤嶺さんは泣きながら話した
もし私のおばあちゃんが対馬丸に間に合って乗っていたら私はこの世に生まれて来れなかったんです、、、と。。。
いつの間にか俺と赤嶺は沖縄戦について語り合いました。
沖縄県民の4人に1人がなく立ったと言う太平洋戦争の沖縄地上戦。
慶良間諸島の日本軍の兵隊から強制的に行われた集団自決から
アメリカ軍の読谷村上陸に伴いガマで同じ様に行われた集団自決
話したらきりがないくらい赤嶺さんと沖縄戦について語り合いました。
そして今
こうして自分たちが生まれて来た意味
生かされてる意味を語り合いました。
そして俺は
こうして沖縄で商売をさせていただいている事への感謝の気持ちを赤嶺さんに伝える事が出来ました。
赤嶺さんよ
君がこの世に生まれて来たのは決して偶然なんかでは無い
君はは何らかの意味とか使命とかを背負ってこの世に生まれて来たんだと思うから俺も頑張るからお前も頑張れよ!お互い頑張りましょう!
天国のおばあちゃんもお前の笑顔を見て安心してると思うよ!
そんな赤嶺との初サシ呑みの沖縄の夜でした。
そして最後に赤嶺にこう言いました。
沖縄人気で観光客が殺到してワーワーキャーキャー盛り上がっている若者たちを、心半ばで散って行った英霊たちはあの世からどう想って見てるんだろね、、、と。