1993年 春
私は27才の時から5年間お世話になった『楽コーポレーション』を退職しました。
独立資金として貯金した
目標だった1000万を元手に
店の物件探しが始まりました。
ところがなかなか物件は見つかりません…
それどころか
殆ど不動産屋さんは門前払いとも言える感じて
「(店舗物件なんて)無いよ~無い無い」
と、頭ごなしに言いわれて
初めてお店を出す僕の話なんぞまともに聞いてもくれません、、、
色々な駅で降りて
色々な街を歩き探しました
靴の底は擦切れる殆ど探し歩きました。
半年程探し続けて
ある物件に出会いました
東中野の不動産屋さんで紹介された物件は
中央線西荻窪駅より徒歩5分
地下の9坪で家賃21万で
保証金は200万でした。
当時はバブルは弾けていたものの
まだ保証金とかは高額な物件が多く
この保証金200万の西荻窪の物件は
かなり私の気を引く物件だったのです。
西荻窪の駅には初めて降りる感じ、、
右も左もわからない、、、
そんな感じでしたが
当時はまだデザイナーとして駆け出しだった
スタジオムーンの金子さんや
友人にも物件を見てもらい
ここなら何とかやれるんじゃないか?
と、言う意見で
後は自分の気持ち次第でした。。。
昼間も物件近くをリサーチして歩き
夜もリサーチしました
人通りの少なさに不安を抱きましたが
何せ良い立地でやれる程の資金力なんて全く無いので
この西荻窪の物件で勝負する事になりました。
物件を契約して
いよいよ平面図が完成しました。。。
当時
まだデザイナーとして駆け出しだった金子さんも
知人の事務所を間借りしていて
畳二畳程の所にデスクを置いて
所狭しと図面を引いてくれました
その間借りしていた狭い事務所に行って
初の平面図打ち合わせをしたのです。
初めて見る自分のお店の平面図。。。
期待と不安
そして、高鳴る鼓動。
もうやるしか無い
そんな気持ちで一杯でした
ところがある事から予定より予算がオーバーする事実が発覚しました。
それはビル側の決まりで
ダクトをビルの5階屋上まで上げて
しかもダクトはステンレス製にしなくてはいけないとの事でした。
このダクトをステンレス製にするのと
ブリキ製にするのとでは金額が全く変わってきて
ステンレス製で5階まで上げる費用だけで
なんと300万の工事費が余計にかかる事になってしまいました。
しかしもう後には引けません…
金融機関に融資を受けるしかない。
ところが
その金融機関が
新規事業の私など全く相手にしてくれません
お金を借りるには
先ず
保証人か担保が必要で
そのどちらとも僕にはありませんでした。
因みに借り入れしようとした金額は200万でした。。
200万の金も借りれない自分の不甲斐なさ…
それと同時に
情け無い思いで僕は悔しくて悔しくて泣きました
お金が無い。
お金が足りない。
どうしよう…
店を諦めるしか無いのか…
そう落ち込む私に
スタジオムーンの金子さんが言いました
「ガンちゃん!手持ちのお金で店を造りましょう!」
「えっ、でも600万しか無いけど、、」
「自分たちで自分たちの手でやれる所は造って頑張りましょうよ!」
「そんな事が出来るんですか?」
「やるしか無いですよ!ガンちゃん!」
金子さんのその言葉を聞いて僕は覚悟を決めました。
(そうだ…やるしか無い…。)
そしてその翌日から僕と金子さん
そして金子さんの部下の成戸との三人での「手造り」の工事がスタートしたのです。
カウンターとテーブルの板は
金子さんが東急ハンズで購入し
山手線と中央線を乗り継いで店に運んで来ました
カウンターとテーブル…
その板の厚さは
僅か1センチの薄っぺらい板でした。
しかし
その薄っぺらい板をカバーする為に
あえて和風感覚を演出する為にゴザを敷きました
壁を塗るお金も無いので
葦簾(よしず)を張り巡らせ
その葦簾の上から和紙を張り和の雰囲気を醸し出しました。
これがその葦簾張りの壁。
僕は僕で日曜大工センターから買って来た椅子を組み立て
ペンキを塗りました
そして看板も自分たちで造り
そこに僕が筆て『てやん亭”』と文字を書きました。
鉛筆で下書きはしたものの
緊張で手が震えたのを今でも覚えています(^^;
お金が無くても店は出来る。。。
そりゃあ
豪華な内装の店は出来無いけれど
『自分らしい』お店は出来る。
心と
気持ちと
魂を込めれば
『自分らしい良い店』は出来るんですよ(涙)
ボロは着てても心は錦
って事かな…(^^;;
正直
金子さんに
自分たちで造りましょう!と言われるまで
何度も諦めようと思いました。。。
資金が足りないから
屋台を引く事も考えました。
それでも何とか自分の店を持ちたい…
その私の一途な気持ちを金子さんは見捨ててくれませんでした。
僕は心の中で何度も泣きました
金子さんと成戸に感謝の思いで一杯で泣きました…
泣きながらペンキを塗りました
泣きながら椅子を組み立てました
こうして僕の1号店はめでたく完成致しました。
旨いものに気取りは無用
華のお江戸の時代から
隣近所の付き合いは
勝手口から始まった。
この文句を筆で書いてトイレに貼りました。
昔の下町では
隣近所の親しい人たちは
玄関から入って来ないで
皆な勝手口から気さくに出入りしてた、、、
そんな
誰もが入りやすい
居心地の良い居酒屋を目指して
中央線西荻窪に
居酒屋『勝手口てやん亭”』はスタートしたのです。
私し32歳の夏の頃でした。
続く…