てやん亭゛・ごりょんさん・ジョウモン・ミートマン・バードマン・oh 釜 bar・クシヤキ肉男・クシヤキCANの株式会社ベイシックス オフィシャルサイト

第三章 表参道への道 その1

2016.6.5 BASICSヒストリー

151201_omotesando_01

西荻窪の小さな居酒屋『勝手口てやん亭”』は
いつの間にか地元の人たちに愛される
とってもアットホームな居酒屋さんに育ってました。。。

僕たち3人は居酒屋商売の楽しさを
日々日々噛みしめながら楽しい営業をしていました。

そんなある日
僕の34才の誕生日に
スタッフのシコタとコージからフルフェイスのヘルメットを貰いました。

当時の愛車はホンダスーパーカブ。

雨の日も
風の日も
台風の日も
大雪の日も
毎日毎日スーパーカブで仕入れに出かけ
荷台にダンボールを三段くらい積んで店に通ってました。

スーパーカブもね
さすがにダンボール三段も積むと
カーブでバイクを倒すと
荷物の重みでバイクが倒れそうになるのね

んだからバイク倒さず
背筋を伸ばして
ハンドルで曲がるワケだ(^^;;

ま、そんな話はどうでもいいけど

その時かぶっていたヘルメットが
あまりにもお粗末なヘルメットだったので
心配してくれて
彼等は僕に安全なフルフルェイスのヘルメットをプレゼントしてくれたワケだよね(^^;;

「おーイイね~ありがとうナ」

僕は普通に喜んだんだけど

まさかその
彼等がプレゼントしてくれたヘルメットが
とんでもない意味を持つプレゼントになったとは
貰った時には夢にも思わなかった…。

スーパー赤カブは当時の僕の『足』でした。

先も述べたとおり
仕入れにスーパーカブ
帰宅もスーパーカブ
飲みに行く時もスーパーカブ(もう時効だら正直に言うけど)

そう
ベロベロの飲酒運転の日々

仕事を終えてスーパーカブで飲みに行く

そんな日々が続きました…

そしてとうとう僕はやってしまった。

誕生日から3ヶ月が過ぎた真夏の夜

とうとう交通事故を起こしてしまったのです。

新宿三丁目で飲んでて
へべれけの飲酒運転で帰る時に
青梅街道と山手通りのあの交差点で
タクシーとほぼ正面衝突して
数十メートル弾き飛ばされたのです。

その大事故で
左鎖骨と右足首を骨折し
全身打撲をし
半袖と短パンだったため
露出していた肌はズル剥け状態の瀕死の重傷。

しかし
頭だけは
あのフルフェイスのヘルメットに守られていて
奇跡的に命だけは助かったのです。

救急車に運ばれて即入院。

当然お店にも出れず
僕は断腸の思いで
シコタとコージに店を任せることになりました。

というのは
僕はとても小心者で
元々ヒトに店を任せられる性格じゃないのです。

でもこうなってしまってはどうにもならない

彼等に店を任せ
僕は動かない身体で天井との睨めっこの日々が続くのです。。。

怪我はね
骨折自体は手術してボルトで骨をつないでね
対して痛みはさほど辛くは無かったけど

ズル剥けの皮膚が最高に痛かったのです

手足がアスファルトとの摩擦で皮膚が剥けて
生の肉片が剥き出しになって
それを毎日消毒するんだけど
その痛さと言ったら
もうどうにもこうにもならない痛さでした。

病院中に響きわたる様な大声で悲鳴を上げてたんね、、、。

それでも店は心配です、、、(≧∇≦)

当時やっと携帯電話が普及し始めた頃で
お店の状況や売上などは携帯電話でやりとりしてました。

心配で心配で仕方ない入院生活。

「今日は誰が来てくれた?」

「俺が居なくて大丈夫だった?」

そう
俺は自分が店に出ないと
御客様が来ないと
御客様が減るもんだと
マジでそう思い込んでいました、、、

約1ヶ月半の入院生活が終わり
退院して
松葉杖と左手を吊るして
即効お店にすっ飛んで行きました。

すると
真っ先に僕の目に飛び込んで来たのは
僕が入院する前と
何ら変わりない
沢山の御客様で賑わう店内でした

えっウソ?

俺が居なかったのに

御客様が減ってないやん???

てか、逆に増えてる…( ̄▽ ̄;)

店内を見渡して呆然と立ち尽くす俺…(・_・;

そしてトドメにこう常連さんから言われたのです。

「もうこの店に大将の居場所は無いよ!」

と、言われたのです。

それはかなりショックを受けた瞬間であり

そこで私はとうとう…

いや本気で彼等に店を任せる覚悟が出来、

そして
こんな自分の為に一生懸命店を守ってくれた彼等がもう一つステップアップ出来る舞台…

そう

2号店の出店を決心した瞬間でもありました。。。

今でも思うけれど

あの時

彼等にフルフェイスのヘルメットを貰って無かったら

間違いなく頭蓋骨骨折とかで

あの世に行ってたと思います。

つづく。

2016/6/5 11:48 BASICSヒストリー