てやん亭゛・ジョウモン・ミートマン・バードマン・ごりょんさん・成吉思男(ジンギスマン)・oh 釜 barの株式会社ベイシックス オフィシャルサイト

ビックスルー 佐藤大介氏

ビックスルー佐藤大介氏

佐藤大介氏(右)とジョウモン溝の口店の元気スタッフ達

経営者脳で考えることが出来れば、あらゆるチャンスが与えられる!
そして、それを全体でバックアップしていくのがベイシックスファミリー

略 歴

(株)ビックスルー 代表取締役 佐藤大介氏
https://teyandei.com/?page_id=2312

1982年山形県生まれ

高校卒業後、とんかつ まい泉に入社、約3年間勤務したのち21歳の時にベイシックス入社

おけやの鈴太郎店長、西麻布店店長、統括店長を歴任

2015年4月溝の口にベイシックス初の暖簾分け制度によりジョウモン溝の口店を開業

修業時代の唯一の楽しみはてやん亭゛

質問:ベイシックスとの出会いを教えて下さい。

高校卒業後、てやん亭゛表参道店のすぐそばの「とんかつ まい泉」青山本店に入社して働いていたんです。

表参道店はガラス貼りだったので外からも様子がよくうかがえたんです。いつもお客さんで溢れていて楽しそうだなっていつも思ってたんですね。
それでいつしか仕事帰りに寄って一杯頂くというのが習慣になっていきました(笑)

当時まい泉さんでの私の仕事は朝7時くらいから夜11時くらいまでの勤務で、仕事内容と言えばまずはキャベツ30個千切り、玉ねぎは1箱みじん切り、その後はただひたすらお弁当用の豚カツを揚げ続けるというような感じでした。

まさに修業です(笑)
しかしこちらでも、専門特化する事の厳しさ、難しさ、そして楽しさ・・・多くの事を学びました。

とんかつ専門店のとんかつって、パン粉がサクサクでフワッと揚げ上がっているじゃないですか?!あれって「花を咲かせる」って言うんですけど3年間で何千枚、いや何万枚揚げたか分かりませんが結局満足は行かなかったですね。

厳しい修業時代でしたが、いい経験になり、いい仲間にも出会えました。

そんな時にベイシック(てやん亭゛表参道店)に出会って、ホント労働後のお楽しみだったんです。
それで通ってるうちにこんなお店を故郷の山形でやれればなあという思いが盛り上がって来て門を叩きました。

3年やったら故郷山形に錦を飾ろう

入社当時の私の目標は3年間勤めたら、故郷の山形に帰っててやん亭゛みたいなお店をやろうというものでした。

約2年勤務した後にてやん亭゛表参道店から業態変更したばかりの「炉端焼き おけやの鈴太郎」の店長に抜擢されました。

まい泉さんでの修業経験もあったので正直自信もあり、これで店長としての仕事も覚えたら退職して、晴れて山形に帰郷しようと思っていました。

2012年5月ジョウモン吉祥寺店オープン当時の佐藤氏

2012年5月ジョウモン吉祥寺店オープン当時の佐藤氏

なぜか全てにダメ出し。私に足りなかったのは!?

ところが店長になるや、提案する事すべてにガンさんからダメ出し。
今まではなんとなく順調にやってこれたつもりだったのに、なぜか店長になったとたんに・・・?

この時期は結構悩みました(涙)

そうしているうちに予定の3年勤務はとっくに過ぎ、店長を務めたおけやの鈴太郎は鳴かず飛ばずの状態で西麻布店の店長になりました。

正直それまで絶好調だった西麻布店に移動になりホッとしたところもありました。
しかしホットしたのも束の間、リーマンショックの到来です!

覚えておられる方も多いと思いますがあの歳、多くの外資系企業が撤退して六本木、麻布、広尾などの外国人の人口は3分の1にまで減ったとも言われています。世の中は100年に1度の大不況などと言い都心部の飲食店は大打撃を受けました。

またまた立て直しのために日々悩み、トライして、ダメ出し、また考えてトライ、という無限ループが始まりました(笑)

でもその事が何が足りなかったという事を気付かせてくれたのです。

ベイシックスで店長になれば経営者脳が必要

ベイシックスでは店長になったら「経営者脳」で考えて、提案、実行していくことを求められるのです。

で「スタッフ脳」と「経営者脳」の違いを今でも日々考えて続けているのですが、
やはり短期、中期、長期、それぞれでのビジョンをも持った提案が出来るかどうか、そしてそれでスタッフたちを食わして行くという覚悟を持って実行出来るかだと思います。

それを持っているかいないかでは、問題に対する答えが全く違ってくるのです。

私にはそれが足りなかったのです。

その後、統括店長も任せていただいた際も自分なりに「経営者脳」で様々な提案をさせて頂きました。

ホントに色々な事を試してみました。具体的には安定して宴会予約が取りやすくなるようなプランに見直したり、新店舗オープンの際には新店長に任せきりにするのではなく幹部をはじめベイシックス全体でバックアップする体制を構築したりしていきました。

3年の予定でしたが12年間お世話になりました。でももし3年でやめていたら今こうしてお店を持てていたとは思えません。

ビックスルー 佐藤大介氏

2016年8月ジョウモン溝の口店にて佐藤大介氏

現役スタッフ、またこれから飲食業を目指そうという人たちにアドバイスを

一言でいうと、「俺はこれ」って今決めて欲しくないということです!

たまにいるんですけど、「これはやるけどこれはやらない」または、「これは自分で店を出したらやる」

これはホントにもったいないと思います。

もちろん最終的に、自分に合ってるか?合ってないか?を判断して決める事は大事だと思うんです。
しかし経験が不十分な状態で、たまたま今うまくいってることが全てみたいに思って欲しくないんです。

私はベイシックスで働く最大のメリットは様々な立地で、いろんな業態にチャレンジ出来る事だと思います。

ベイシックス=ガンさんの凄いところの一つに、変化への対応のセンスの素晴らしさがあると思うんです。
流行りに流されずに時流に乗っていくみたいな?!

私も幸いに入社当時は創作居酒屋、その後は炉端焼き、ランチのカレー専門店、沖縄料理、ワインビストロ、住宅街の一軒家居酒屋、博多串焼き、宮崎地鶏とさまざまな業態を経験させていただきました。

これが最大の財産です。

はじめて独立する時に、自分のやりたい業態で、やりたい場所で開業できる人などほとんどいないと思うんです。ならば勤めている時に色々な業態を、色々な場所で経験すべきだと思います。

どれでも、どこでも同じようなモノなどという事は全く見当違いです。同じ業態でも場所が違えは表現や接客も全く違います。
同じ住宅街と言っても、たとえばてやん亭゛西麻布店と今私が運営しているジョウモン溝の口店では全く違います。

今、ジョウモン溝の口店では小さなお子様を連れたご家族のお客様もかなりの割合でいらっしゃいます。
この場合一番の攻めどころはお子様です。ファーストドリンクはもちろんお子様には真っ先に、食べやすい盛り付けやカット、そしてお帰りの際はお土産のアメちゃんはマストです。お子様の名前も覚えて、スタッフも○○お兄ちゃんなんて呼ばれたらもうこっちのモンです(笑)

なぜお子様が一番の攻めどころか?お子様は一度気に入ると冒険しないでしょ!それでお父様もお母様もお子様が行きたいと言えばなかなか断れませんよね(笑)

ならば高級住宅街の西麻布だったら誰を攻めるかのか?!

こんな戦略立ても楽しいと思うんです。仕事を楽しむってこういう事かなって思うんです。

それを身につけられたのはベイシックスで、悩みながらも任せてもらった経験があったからだと思うんです。

そしてもう一つ大きなお宝がベイシックスにはあります。

それは伝統的に仲間を大切にします。いわばベイシックスファミリーです。卒業しても変わりません。
ガンさんをはじめ、歴代の諸先輩方がお店に来てくれてアドバイスをしてくれたり、飲みながら話を聞いてくれるという習慣があります。
なので気が抜けないというのもありますが(笑)

これは大きな財産です!

私の会社の社名はビックスルーというのですが、ビックは大介の「大」、スルーは貫くという意味。
ベイシックスで教わった商売人魂を大いに貫いて行きますよ!

ともに切磋琢磨して商売を楽しみましょう。

佐藤氏のベイシックス時代のガンさんや、諸先輩方、同僚との思い出のショット

佐藤大介氏のお店のご紹介

ジョウモン溝の口店

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ベイシックス初の暖簾分け制度での出店。ジョウモンとしても初の神奈川県への出店でしたが早くも地域NO.1との評判ですよ!

〒213-0001神奈川県川崎市高津区溝口2-13-28ファイブビル102 MAP
TEL 044-811-6040
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