最後に物を言うのは「体力」
新潟 八海山
八海山と言えば
日本酒
その八海山酒造直営店『筍』が苗場にオープンしたので
わざわざ苗場まで行って来た。
この建物の中に三業態。
ドーンと広い空間。
けっこうお客様が入ってますね。
八海山飲み比べ
料理は至って普通
因みに苗場…
あれ程多かった中国人が
殆どいない
飲食店経営者が集まれば
当然ながら話題はコロナウイルスの話し。
予約キャンセル続出?
モロに影響喰らってるエリア?
アウトレットかぁ…
銀座も
浅草も
横浜中華街
長崎や神戸の中華街はどうなんだろーね?
因みにシドニーのチャイナタウンは壊滅的だと報告ありました。
問題は、いったいいつ収束するのかだよね
これからがピーク?
マジか…
これ相当な数の飲食店が潰れますね
コロナウイルスじゃないけど体力の無い店はもたないだろう
体力?
当たり前だけど資金力
売り上げが減れば支払いも出来なくなるし
体力の無い店は潰れますよね
あー
もっと体力付けておけば良かった(涙)
日本酒の奥深さを再認識
僕が初めてお店を持った今から26年前は、正にその日本酒地酒ブームの真っ只中だった。
その時の主役のお酒が「新潟の地酒」だ。
米どころ新潟は
とびきり美味しい日本酒が出来る。
その中でも横綱級と称されていたお酒が「越乃寒梅」だった。
今から約35年以上の昔
アパレルの営業してた俺は新潟の長岡市に出張に行って、夜居酒屋に行ったのね
そこに日本酒番付表なる紙が貼ってあって
横綱から大関、関脇、前頭、、、と番付されているのだけど
当然横綱は「越乃寒梅」と書いてあるのを今でもよーく覚えている。。。
地酒ブームの当時、越乃寒梅は当然入手困難
ある酒屋では越乃寒梅や久保田、八海山の新潟メジャー級日本酒は「抱き合わせ」で売られていて
訳の分からない日本酒を一緒に買わないと売ってくれないなんて当たり前の話でした。
今の「獺祭」人気以上でしたね、、、
https://www.princehotels.co.jp/naeba/restaurant/minagawa/
日本酒勉強会の会場は「鮨みながわ」
日本酒といえば鮨
鮨といえば日本酒
和食と日本酒は
切っても切れない仲
マジ
最近の日本酒の瓶は
洒落乙過ぎる
苗場のガンちゃんが握る鮨は絶品だ。
今年のガンちゃんに逢えて
ガンちゃんのお鮨が食べれて
とっても楽しくて美味しい夜でした。
いや~
日本酒は実に奥が深いですね
海外から見た日本
シドニーのビジネスパートナーのヨシさんと最近頻繁に連絡を取り合っている
ヨシさんは凄く日本の事を心配する一方で、かなりビビっている
ガンちゃん日本は大丈夫なのか?
日本人が皆んなマスクしてる映像を見て
シドニーの人たちは日本に対して相当「日本は危ない国」だと思っているよ!
日本人はほぼ全ての人がウイルスに感染していると思われているよ!
と、言うのである。
恐らく諸外国の人々もヨシさんと同じ考えなのだろう。
今や日本は中国と並ぶコロナウイルスだらけの危険国だと諸外国からは思われているそうだ、、、
このままだと東京五輪開催も危ぶまれる。
世界中のアスリートだって、今の日本には近付きたく無いに違いない。。。
これじゃ六本木から外国人の観光客が消えるワケだよね。
我々外食店は
どうやら影響の出てる店と
全く影響の出て無い店の二極化に分かれているみたいです。
先日ある飲食店経営者と話しましたが
まだ殆どの店舗がコロナの影響を受けて無いと言う超羨ましい事を言ってましたが
MSTの時に情報交換では、銀座はかなりしんどいとか、浅草がヤバいです!とか、
やはりインバウンド需要の多いエリアほど影響を受けているみたいです。
因みに僕のお店は影響受けまくりです(涙)
六本木なんて10月の半分くらいの落ち込み(涙)
宴会需要の見込める比較的大箱の店舗も予約のキャンセルが殺到してます。
因みにホテルは大変な事になってますよね。
一昨日泊まった大阪の第一ホテルなんて6000円で泊まれたよ!
何年か前アパホテルでさえ25000円もしたのに!
皆さま
今こそ旅行に行くべきですよ^ ^
でも
既に株価の大暴落は始まったし
いよいよ現実味を帯びて来た「コロナ倒産大不況」
今朝
六本木芋洗坂で
いつもランチで天丼をいただく
天ぷら屋さんの主人にお会いしました
開口一番「岩澤クンよ、店がキャンセルだらけで売上がさっぱりだよ!このままだと店潰れるよ!」と。
昨日、安倍総理大臣が学校の休校を指示しましたね。
学校の休校
数々のイベントの中止
不要不急の集まりは止めろ
街ゆく人々は殆どマスク姿
正に
この世の終わりに近づいている様がそこには映し出されているみたいですね。
そんな私は「コロナが怖くて酒が呑めるか~!」と、叫びながら
毎晩外食に勤しんでおります。
押忍!
背中で教えてくれた父
2月26日は
天国の父ちゃんの誕生日
生きていれば87歳。
父は「クソ」が付くほど真面目な人でした。
産まれて間もなく両親が他界
親戚をたらい回しされながら育ちました。
それはそれは極貧なんてもんではなかったそうだ。
「俺は苦労して育った」とは一言も言ったことがない。
ただ「俺は親の顔を知らない」は口癖でした。
一生涯親も無く、地位も名誉も見事に無く、お金も無く、何の趣味も持たず
ひたすら家族の為にトラックのハンドルを握っていた父でした。
「私の事を信用して下さい」
と、言う前に
他人から信用される様に行動で示せ。
そう背中で教えてくれた父でした。
嘘はつくな
時間を守れ
友達同士でカネの貸し借りはするな
他人の保証人にはならない
愛人は作らない(^^;;
一生を小さな運送会社の運転手で終えた
絵に描いた様な真面目人間だった父でした。
僕はそんな真面目な父にそっくりな真面目人間に育ち現在に至っております。
お父ちゃんありがとう(^^)
一番尊敬しています。
※岩澤博のブログ「ガンさん日記」より、抜粋してお知らせいたしました。