正直な商売
お腹が空いたので
いつもランチでお世話になってる鮨屋
六本木芋洗い坂の『貝政』さんにて
軽くお鮨をいただきました。
25キロ超えのクエですよ!
と、自慢する大将(-_^)
この鮨屋『貝政』さん
六本木や西麻布にありがちな
超高級鮨屋にも全く引けを取らないネタの拘り。
で、もって価格は超高級鮨屋の半分。
大将が言います
僕は正直に商売をやりたいだけですから…と。
正直な商売…か。
何だか良い表現だな…
俺は正直に商売を出来てるのかな?
なんて考えさせられながら
芋焼酎のお湯割りが進みます。
すし貝政
東京都港区六本木5-9-14 第7ビレッジ1F
03-5413-0666
http://tabelog.com/tokyo/A1307/A130701/13122868/
まさか自分が
アパレル時代の大親友であった小柳に会った。
真ん中の彼が小柳浩氏。
俺と同じヒロシ(-_^)
小柳とは
彼が二十歳の頃からだから
俺が21歳の時からの付き合いだった。
小柳は歌が上手い。
六本木に『シーファリ』と言うカラオケ道場があり
歌の上手い人にはボトルがサービスされるのだけど
俺と小柳はいきなり有段者となって
テーブルがボトルだらけになったと言う伝説もある(^_^;)
もちろん俺と小柳は何処の店でも無敵だった。
新宿三丁目の行きつけのスナックでは『Wヒロシ』とあだ名を付けられ
とうとう歌手として二人でデビューしないかと誘われ
某有名レコード会社のお偉いさんが
俺たちの歌を聴きに来た事もあったんだ。
ま、歌手デビューの話は夢と消えたけど
そんな二十代の俺たちだった。
この写真には1987年と記されていた。
つまり28年前。
俺が25歳で小柳が24歳の時の写真だ。
この2年後に俺は
突然アパレル業界を辞めて
飲み屋のオヤジを目指すんだけど
この頃は
まさか自分が六本木や西麻布や渋谷で
居酒屋を経営するなんて
これっぽっちも
夢にも思っていない頃だ。
人の人生なんて
何処でどうなるかなんて
全く予想も付かないものでございます(^ ^)
125人年頭アンケート
毎月書店より発売される
柴田書店発行の『月刊食堂』さんに載せて頂きました。
『125人年頭アンケート』です。
アンケートの質問は
・2014年を振り返って
・マーケット展望
・メニュー戦略
・コスト対策
・人材対策
・出店計画・新規事業
と、まぁこんな内容でございまして・・・
僕も真面目に答えてはみたものの
僕の場合は
全て『勘』って言うヤツに頼っているので
何の計画性も
対策も
戦略も
何も無いので
いったいどう答えてイイのか解りませんでした。
でも「アッパー業態と・・・」とか言ってるのは
僕の周りにいる儲かっている飲食店経営者の方々は
こーゆー大衆業態やアッパーなお店をやってる人が多い傾向なので
そう答えてみました。
僕のお店みたいに
大衆でもアッパーでも無い
中途半端なお店は
益々苦戦を強いやられると
自らに言い聞かせるつもりでも答えました。
そもそも『展望』なんて解るワケねーし(笑)
どんな店が流行るかなんて
最初から解ったら
オラ苦労はしねーだ(笑)
んでも
高卒の偏差値38の
無い知恵を一生懸命絞って答えただよ(#^.^#)
そこんとこは褒めて下さいな。
ご興味のある方は
お近くの書店にてお買いもとめ下さい。
俺も昔は…
昨日
渋谷のお店を出て桜丘の街を歩いていたら
バッタリと会ったこの方々。
天才料理人
久我山『器楽亭』の主人
業界一の顔のデカさを誇る 浅倉鼓太郎と
不動産業を営む徳本さん。
徳本さんに言われました。
それはまだ僕が西荻窪の小さな居酒屋を始めた頃の話
岩「徳さん!俺は絶対に都心のど真ん中店を出して 絶対に流行らせてやるんだ!見ててよ~」
徳 「……。」
当時徳本さんは心の中でこう思っていたらしい、、、
この人まだ店始めたばかりで
しかもこんな西荻窪の地下の小さな店で
いったい何を言ってるのだろう…
そう思ってたと徳本さんは言ってくれました。
ま、実際そんな事を言ったなんて全く身に覚えが無いのですけれど
その当時は酔うと
徳本さんの肩に手を回して
そんな事ばっかり念仏の如く言ってたそうです(≧∇≦)
「えーっ!徳本さんにそんな事言ってたんだー?」
「言ってましたよー!」
「俺も昔は熱かったんですねー」
※岩澤博のブログ「ガンさん日記」より、抜粋してお知らせいたしました。